健康な偏食

肉チャー祭り

「イヤなものは見ない」が限界に近い

なるほどー。過去に「偏食」って言葉を使って書いたエントリをいくつか思い出した。

ぼくなんかは、ウェブをメインの情報取得チャンネルとして活用するようになって、それこそ「人間が人間を殺しました」情報みたいな毒素が体内に入り込んでくる事故がほぼほぼゼロ件になって、概ね快適な生活を続けられるようになった。

ぼくの人生観のひとつに「減点方式よりも、加点方式の方が圧倒的にいい」ってのがあって、「ブラックリスト方式」を無意識に避けているところがあると思う。タイムラインでもニュースフィードでもいいんだけど、「これは見ません」ってバツ印をクリックしていくのは苦手。自分からリム〜ヴとかブロ〜ックとかミュ〜ト系の機能を使うことがない。なんでかっていうと、そういう運用を続けていくとつらみ成分が蓄積するからだ。「ブロックしている人のリスト」とか「ミュートしている人のリスト」がどんどん育っていく様子を想像すると重たい気持ちになる。精神衛生に悪影響を与えるものをわざわざ手間暇かけて育てたい気持ち、ない。

それよりは「ホワイトリスト方式」を採ることが多くて、自分が目を通すチャンネルに「見たくないものが増えてきたな」となんとなく感じるようになってきたら、まずそのチャンネルそのものから静かに遠去かる。「これと、これと、これだけはやっぱり見たいな」と思う小さなチャンネルを抽出し直して、次の日からは安心してそのチャンネルとともに暮らしていきたい。ホワイトリストが育つのは、精神によい影響を与えてくれる。

たとえ「人のつながり」がベースにあるものだったとしても、見たいもの・見たくないものは自分で選べばいいんじゃないかなあ。「無碍にできない」ってがんばった結果、自分が無碍になったら元も子もない気がするよ。

というわけで、今日もぼくは元気に偏食を続けている。