読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

書籍「さよなら、インタフェース」を読んだ

楽しく読みました。

さよなら、インタフェース ?脱「画面」の思考法

さよなら、インタフェース ?脱「画面」の思考法

試しにサンプル版をダウンロードして読んでもらったらわかると思うんだけど、いい意味で雑で、雑談っぽい感じの文章で持論が展開されていっておもしろい。ぼくにとってはポジティブに作用した。訳者さんは「訳者泣かせ」と言っていた。合わない人には合わない、クセの強さはあるだろうけれど、言っている内容はおもしろいので興味があったらサンプルを、ぜひ。

著者の Golden Krishna は、なにかとアプリをつくりたがり、なにかと画面をデザインしたがる現代社会に警鐘を鳴らしている。なんでもかんでも画面をつくりすぎ、必要のない画面をつくりすぎである、と。

「安易に画面をつくろうとするな、真面目にやれ、人々の問題を解決しろ」

豊富な事例を持ち出してきては、繰り返しそんなことを告げている。

「寝る前に明るい画面を見ちゃうと脳が活性化して寝付けなくなる」的なことが書いてあるページを Kindle で読んでいる途中で寝落ちしてしまったり、自宅でほぼ全裸で踏み台昇降運動しながら読んでいるときに「キミの着てるその服、なかなかいいね」と書いてあるページに差し掛かってしまったりと、ぼくとこの本はなかなか噛み合わなくて笑ってしまったけれど、内容にはおおいに共感した。

インターフェイス (ぼくがカタカナ表記するときは、いつもこう書く。書籍のタイトルと表記が異なっているのは知っているけれど、それでもぼくはこう書きたいのだ) なんて、なくてもいいんだったらないに越したことはない。チャットボットと暮らす人類の未来に自分は何を期待するのか、あるいは何を期待しないのかというエントリの一部にも、そういったことを書いた。ボットに命令を与えるインターフェイスとしてチャットを使いたいんじゃない、ぼくたち人間がいつものようにチャットをしていたらボットがいろいろと気を利かせてくれる、そんな未来を期待しているのだ、と書いた。これは Golden Krishna の考えにかなり近いことを言っていると思う。

ノー・インターフェイスを体現するに当たっては、各種のセンサーデバイスが大活躍してくれることだろう。そういった意味で、近年の IoT 的な流れは歓迎したいものだ。自宅のリビングに種々のセンサーを仕掛けて、そこから読み取れる情報をもとに「いい感じに」よろしくやってくれるシステムは、今後どんどん登場してくれることだろう。

スマートフォンアプリは UI が肝心」なんてことはよく聴こえてくるけれど、この本を読み終わった今、インストールしておくだけで勝手にバリューを出してくれるような、そんなアプリをつくってみたい気持ちになっている。現代のアプリケーション開発者に、よい視点を与えてくれる書籍だと思う。読めてよかった。