大人に成る

これ、何度か書いたり言ったりしている気がするけれど、子どものころのぼくは「大人になるということは、我慢を覚えることだ」的な観念を持っていた。それが、大学に編入したハタチ頃から今日に至るまでの間にずいぶんと感覚が変わってきたので、その経緯なんかについて書く。世間的には、もう「大人」と呼ばれて仕方ない年齢になってしまっているので、今のぼくが思う「大人」ってやつについての認識も文章化するです。

不満に思うことがあるとき

題材として、「なにかしら不満がある」場合の行動体系について考えてみる。

誰しもが、子どものときは、全身を使って「不満がある」旨を感情的に表現する。だんだんと歳を重ねるうちに、感情を飲み込んで「黙って耐える」という選択肢をチョイスできるようになってきたりもする。ここまでは、ぼくも早い段階で気付いたこと。

あるときに知り合った大人は、不満があったときに「黙って耐える」ことは苦手な人だったけれど、いかにして「不満を感じずに済む状況に身を置くか」ということを考え、そこに向かって行動を起こせる人であった。そういう大人を見たときにぼくは、ああ、我慢しないという選択肢もあるのだな、と思った。我慢するよりも高次のふるまいが存在するのだ、と知った。

今では、そういったふるまいを持っている大人の近くにいることが心地良くて、日々、そういった先輩たちを見習うようにしている。ただ時の流れに身を任せていても、年齢的には「大人になる」ということにされているけれども、かっこいいふるまいを身に付けて成長していくことを、強調して「大人に成る」と書いてみよう。

ハッカー精神

ぼくは、この時代にソフトウェアエンジニアでいられて得だなぁ、と感じることが多い。

「ハックする」という言葉の指すところにはいろいろな解釈がありそうで恐る恐る使うけれど… そうだな、ここでは「対象に働きかけて、挙動をより望ましいものに変える」といったニュアンスで使おう。練度の高いソフトウェアエンジニアは、日常的に「これはハックできないか?」と考える癖がつくものだと思っていて、多くの場合、それは日々に得をもたらすだろう。

直接的には、使用しているソフトウェアに対して「もっと、こうだったら便利なのに」と思ってコードを書き換えてしまう。ハック対象はソフトウェアばかりではなく、業務フローに非効率なポイントを見つけたら、作業を自動化するツールをつくって効率を100倍にしたり、手作業の過程でヒューマンエラーが頻発するようであれば、人間がそもそもミスを起こせないようなインターフェイスを用意して問題を回避したりもする。生活の中でも、家事の担当を決めるコミュニケーションがうまくいっていないようなら、そこをボットに任せるようにして不満が起こらないようにする、といったこともある。

総じて、ぼくが尊敬するソフトウェアエンジニアのみなさんは、例外なく大人に成っている。現状に不満を感じたら、落ち着いて考えて原因を特定し、ハックできないかと考え、まるで魔法のように問題を感じて、自分が二度と同様の不満を感じずに済むように、場を変えてしまうのだ。おまけに、同様の不満を抱えていたまわりの人たちもハッピーになる。

これは、子どもの頃の自分に、ぜひ教えてあげたい。なにもかもを我慢しなきゃいけない、ってことはない。「不満は回避できる」という発想と、回避方法を実現できるだけの技術があれば、人生はどんどん素晴らしいものになる。いつかは君も、大人に成るといい。