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客観的に整理された情報よりも、主観たっぷりの物語を

先日、なんかのタイミングで「教材ってなんだろうな」って考えた。そこから「学び」や「学ぶ」という言葉の意味についても考えた。

「学び」とは、どこに宿るものであろうか。教材なんて呼ばれるような物体に宿るのだろうか。ちょっと考えてみたけれど、ぼくは「学ぶ」の主語となる行動主体の内面にしか「学び」は存在し得ないと思った。

そいじゃあ、最近の自分が「学びをゲットだぜ!」と感じるタイミングは、どんなふうにして訪れているだろうか、と考えてみた。

考えてみると、自分はもっぱら、主観たっぷりの物語から多くを吸収する傾向が強いのではないかと気が付いた。本を読んだり、なにかしらの教材を利用したり、といった方法では、なかなか身にならないことが多い。実際の問題と直面した人の「ここが大変で、苦労して、でもこうやって挑んで、こうやって乗り越えた」みたいな物語からこそ、多くを得られるような気がするのだ。

いちおう、流行りのライブラリとか、ツールとか、そういった情報を追いかけていたりもするのだけれど、そのほとんどは、実際には自分の日々に取り入れられることなく過ぎ去っていく。昔は、流行りのツールをどんどん試す、みたいな日々を過ごしていたりもしたのだけれど、今は自分の現場もあるし、自分の現在地に合わせて取捨選択している感じ。地に足がついている感がある。ふらふらしていない、という意味ではよいことかもしれないし、すぐには遠くまで行けない、という意味ではよくないことかもしれない。

そんなわけで、やっぱり好きな人たちのブログを読むのが好きで、そこに綴られる、あんまり整理されていなかったりする事実とか、感情とか、情景とか、そういったものを読んでみては、なにかを感じ、なにかを得る。

もう、情報に関しては満腹気味なのかもしれないな。お腹を満たすだけならコンビニにでも行けばいいけれど、どうせならおいしいものを食べたくて、極上の物語を求めている、みたいな。

「フィードリーダーのある暮らし」シリーズの3回目のエントリでした。