相手を誰にするか選ぶということ

相手を選ばなくていいのは、楽だ。

ぼくは「今日はランチにこんなものを食べました〜☆」とメールを送ったりはしない。「ぼくの今日のランチを、誰が知りたいだろうか…?」って真剣に考えて、たとえば友だちが10人いたとして、10人のそれぞれについて「この子は知りたいだろうか…?」って考えるとしたら、神経を摩耗してさっさと死んでしまうかもしれない。

ぼくはすっかり、ブロードキャストに慣れてしまった。ぼくの今日のランチはこれです、という情報を、ここに置いておきます。見たい人は、見てください。これからも定常的に情報を受信したい人は、購読してください。また、いつでも購読を止めていただいてけっこうです。

発信側は、発信したいことを発信する。受信側は、受信したいものを受信する。これが心地よい。

だから、2013年になって、相手を指定してどうでもいい内容を送る Poke ってのは、なんだか気恥ずかしいものだ。あの、人を選ぶ画面で、くすぐったい気持ちになってしまう。最大40人までを選んで、どうでもいい内容を、送る。アイコンと名前を見て、画面をタップする。これがどうにも恥ずかしい。

「相手を選ぶ」という行為は、けっこうな想いとともにあるらしい。