映画「メメント」を観た
- 出版社/メーカー: 東芝デジタルフロンティア
- 発売日: 2006/06/23
- メディア: DVD
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10分しか記憶が持たない男が主人公の物語。ノーラン兄弟の作品。映画好きの人からするとナニヲイマサラ〜って思われちゃいそうだけど、クリストファー・ノーラン監督はこの作品で一気に有名になったんですね。
描き方が非常に独特で、気軽にぼんやりと眺められる作品ではないのだけれど。事の顛末 (というか事の発端?) を見届けたくて目が離せなくなった。画面に食い入るようにして観てしまった。
観終えたあとあらためて「ふりかえりは大事だな」と思った。10分で直近の記憶を失ってしまう男には、ふりかえりの機会がない。人間だから、どうしても判断ミスをしてしまうときもあるわけだけれど、そのミスで失った分を取り返す機会がない。そこが怖いと思った。さらにいえば、それを悔いることすらないので、作中で「あなたは幸せね」と嫌味を言われていたように、覚えていないから辛いことを忘れられる分は幸せかもしれないけれど、弱い自分を乗り越えたりできないのはとても不幸に思えた。
ぼくらにはある程度の期間はもってくれる記憶があるのだから、その記憶を活かして、人生をイテレーティブにしていかなきゃと思った。失敗や後悔を忘れるまで放置してしまうと、この映画の主人公と同じような道を行くことになるだろう。
シャンプー選び
奥さんが新しいシャンプーを買ってきてお風呂に設置してくれたので、ぼくはそのシャンプーを使う。それが、以前に使っていたシャンプーと同じかどうかはあんまり気にしない。よほど肌に合わないとか、よほど匂いが気になるとか、そういうふうでなければ、シャンプーはなんだっていいのだ。頭皮のかゆみを感じずに日々を過ごせさえすればそれでいい。
ふと、ぼくのこれまでの人生におけるシャンプー選びについて考えてみたくなった。そうしてこのエントリを書いている。
生まれてから小学校を卒業するまでの間は、そもそも「シャンプーを選ぶ」という発想もなかったと思う。家の浴室にある、親が選んで買ってきたものをそのまま受け入れて使っていたことだろう。はたしてどんなシャンプーを使っていたのか記憶にない。石鹸ではなかったような気はする。この時期にはテレビのCMで「リンスのいらないメリット」「ちゃんリンシャン (ちゃんとリンスしてくれるシャンプー)」「ティモテ〜 ティモテ〜」といったフレーズが連呼されていたような気がする。
中学生になって、まわりより少し遅く思春期を迎えたぼくは、次第に自分の髪の匂いや髪型などを気にするようになっていった。整髪料をつけてみたくなった時期でもあり、シャンプーに意識を向け始めたように思う。この時期は資生堂ファイントイレタリー「ティセラ」という香りが強めのシャンプーが猛威をふるっていて、通っていた中学校の音楽の先生もティセラを愛用していた。廊下などですれ違うときに香りを感じたものだった。
10代後半には実家を出て学生寮に入ったので、必然的に自分でシャンプー・リンス・コンディショナーを選ぶことになった。その割には、この時期はなにを使っていたのかぜんぜん思い出せない… もしかすると、出費を抑えるために、そのときそのときでドラッグストアで安く買えるやつを選んでいたかもしれない。でもたぶん、なんとなくヴィダルサスーンを使っていたような覚えもある… うろ覚え。
大学〜大学院は実家から通える場所にあったため、ここで一度、実家暮らしに戻った。この時期はぼくを含めて4人いる兄弟の全員が実家にいたため、実家の浴室には種々のシャンプーやらリンスやらコンディショナーやらボディーソープやらが所狭しと並んでいた。みんなそれぞれ、自分の使いたいものがあって、それを好きなように並べていたのだ。
社会人になって上京し、一人暮らしが始まった。当然、シャンプーは自分で選ぶ。もうこの時期には「まぁ、これでいいかな」という固定の選択があったっけな。そんなに試してみたいこともなくて、無難な選択を繰り返すようになっていた。たまに、お世話になっている美容室で髪を整えたあとに「こんなシャンプーもありますけど、よかったらいかがですか?」と問われることはあったが、毎回「いいえ、結構です、すみません」と断っていた。
そして今、奥さんと2人での生活に至る。奥さんが選んでくれたシャンプーをそのまま使っている。
今日、同僚が UT Picks を利用していると教えてくれて、これがけっこういいとのことだった。毎月、自動で選ばれた5枚のTシャツが送られてくるやつ。また同時に、小津安二郎さんの
なんでもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う。
についても言及していて、なるほど〜と、ぼくはシャンプーのことを思い出していた。
人生は有限で、みんなそれなりに忙しく毎日を過ごしていて、ありとあらゆる選択についてそんなに一生懸命に「ベストな解を!」なんてやっていられないわけで。それなりにどうでもいいことについては、あんまりコストをかけずに「じゃあ、これで」って選んでおいて問題はないわけだ。
ぼくにとってシャンプーは、まさにそんな対象だと思った。
今朝の夢
最近の東京都はぼくの基準でいえば夏であり、少しずつ寝苦しさの気配を感じるようになってきた。眠りが浅くなると、妙な夢を見る頻度が上がるような気がしている。
今朝の夢のメモ。
1周目。主人公は小学校高学年くらいの女児。ぼくがその目線で世界を見ている。同級生の女児に「勝負しようよ!」と正々堂々と勝負を申し込んだのに、なぜかクラスを巻き込んでのイジメみたいになってしまい、「どうしてこうなっちゃうのかなあ…!」と怒りと悲しみが入り混じった感情を抱えて帰り道を歩くところで閉幕。
2周目。というのも、1周目と同じ主人公のパラレルワールドといった感じで、今回は主人公が完全犯罪を成し遂げようとする展開に。最後は、自身の行動の証拠になりそうなものを友人と手分けして数ヶ所にわけて捨てる光景を眺めていた。「もしバレたら、もうこの町にはいられないから…」とつぶやいて閉幕。
これだから、寝苦しい夜は嫌いだ。
最速コンビニレジ通過選手権
これ、うまく伝えるのむずかしいかもしれないけれど、ツイートにおさまりきらない説明をちょっと書いておく。
コンビニでお買い物するときに待ち時間が最短になるように「ビニール袋は要りません」「Suicaでお願いします」「レシートは捨てちゃってください」を言うタイミングを見極めるとフローはめちゃくちゃスムーズになるんだけど、店員さんから「なにこの客…」と見られることもあって難しい
— 大和田純 公式アカウント (@june29) May 26, 2016
のんびりパターン
- 店員「いらっしゃいませ お預かりします」
- ぼく「おねがいします」
- 店員「(ピッ ピッ ピッ ピッ) 合計で◯◯円になります」
- ぼく「Suica でお願いします」
- 店員「かしこまりました Suica ですね (画面を操作) ではタッチをお願いします」
- ぼく「(ピッ)」
- 店員「頂戴いたしました」
- ぼく「あっ、ビニール袋は不要です」
- 店員「おそれいります テープで失礼します こちら商品になります」
- ぼく「どうも」
- 店員「レシートはご利用ですか」
- ぼく「いいえ 結構です」
- 店員「ありがとうございました」
- ぼく「ありがとうございました」
先回りパターン
- ぼく「(商品をレジ台に置きながら) ビニール袋は不要です」
- 店員「いらっしゃいませ かしこまりました (ピッ ピッ)」
- ぼく「支払いは Suica でお願いします」
- 店員「(ピッ ピッ) 合計で◯◯円になります Suica ですね タッチをお願いします」
- ぼく「(ピッ)」
- 店員「頂戴いたしました」
- ぼく「レシートは捨てちゃってください」
- 店員「かしこまりました こちら商品になります」
- ぼく「ありがとうございました」
- 店員「ありがとうございました」
こんな感じで、先回りパターンの方は、店員さんに聞かれる前にぼくから詳細オプションを提示していくから、店員さんはぼくに言われたことにお返事しつつ自分の作業の経過報告をする感じになって、2つずつしゃべる流れになる。
見ての通り、後者の方が会話の総量は少なくなるので、ほとんど無駄な時間なしにスムーズにレジを通過できるんだけど、たまに店員さんが「なんだかな〜」という表情をするときがある。なんか、やりとりの主導権をぼくが握る形になっちゃうから、気分がよくないのかな…。ぼくも別に流れを掌握したいわけではないから、店員さんにも「スムーズで楽だな〜」と思ってもらえるような方法があるならそうしたい。
…って、いっしょうけんめい説明してみたけれど、これ伝わるんかな。
なお、ファミマのレジでは途中で「Tポイントカードはお持ちですか?」が挟まれて会話のリズムが狂ったり、ぼくがしゃべるタイミングと店員さんが「Tポインッ…」と言うのが重なっちゃうときがあって「ああっ」「ああっ」ってなる。
映画「パーマネント野ばら」を観た
平日の夜、ごはんを食べ終わって、一通り家事も終わって、さてあとはなにをして過ごそうか〜となった日、奥さんといっしょに Amazon プライムビデオを物色して、じゃあこれを観てみよっかってことで、観てみました。
- 出版社/メーカー: デイライト
- 発売日: 2011/01/07
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なにかわかりやすく特別な出来事があったりするわけじゃないんだけれど、海沿いの田舎町を流れる日々の時間が、なぜだかすごく特別なことに思えた。登場人物たちの、ちょっとずつちょっとずつの日常を断片的に見せてもらえて、妙なリアリティもあって、すごくおもしろかった。
もしこれが母国で撮られたものでなければ、ぜんぜん感情移入できなかったように思う。この作品が邦画であってくれてよかった。
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にしてみた。パーマリンクだ。