ネガティブなことの揮発性が失われること、うれしくないものが育ってしまうこと

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ツイッターの「ブロックしているアカウントのリスト」がインポート・エクスポートに対応して、複数アカウント間で共有できるようになったとのこと。公式のアナウンスは「もっと安心・安全なツイッターに!」という語調だけれど、本当はこんなものが必要とされない世界に住みたいのだ… という意味では、ぼくが女性専用車両に対して感じてしまうのと同様の哀しみを覚えた。

近年の「ソ〜シャル〜」の流れの中で、失われてほしくなかった揮発性が失われてしまったのでは、という懸念がある。たとえば、そうだな、高校時代に苦手な先生のひとりやふたりはいたと思うのだけれど、それを友達の家で言う分には揮発して消えてくれていたものが、ツイッターに書いてしまうと、思わぬ形で大きなことになってしまったり。インターネットに投じられてしまったものは、揮発性を失ってしまうことがあるのだ。どうか、誰かの「嫌いな人リスト」なんてものが揮発性を失ってしまいませんように…。

は/か

以前に健康な偏食にも書いた通り、うれしくない気持ちがするリストをメンテナンスしていくって、精神によくない影響があるから、ぼくはなるべく避ける。

ツイッターもいろいろと大変なんだな、と思ったし、ぼくみたいな一般人が平和に暮らしていけるように中の人ががんばってくれているんだな、と思って、ありがとうございます。