大学時代のこじらせエネルギー

久しぶりに、ゆったりとした時間の中に身を置いてみると、忙しく過ごしている日々の中では考えないような、どうでもいいこととか、ぼんやりとしたこととか、遠い未来のこととか、脈絡もなく考えているときがある。

「考える」という行為自体は、働くようになってから最も高密度でこなすようになったはず。だけれども、働くようになってからの「考える」行為というのは、次から次へと目の前にやってくる問題の解決のために行われて、なおかつそれは、わかりやすく「解決した」「感謝された」といったご褒美となって返ってくるため、なおさらそのための行為として加速していくように思う。

一方、ぼくの大学〜大学院時代というのは、別になにかしらの問題を解決するわけではなく、どこにもピントを合わせずに、フォーカスを合わせずに、ただただ「考える」という行為を、考えるためだけに費やす時間が多かった。それが許される環境だったと思うし、そのときの自分にとっては、それが重要でもあった。

その大学〜大学院時代に、ぼくは「Web 2.0」の熱気にもろにあてられた。自然と、それについて考える時間を多く持った。だからきっと、今のぼくが頭の中に描く未来像というのは、「Web 2.0」という潮流の中で語られていたことがベースになっていて、ちょっと前に書いたエントリでも表明したように、すべてのものがハイパーリンクでつながる世界に夢を見たり、それこそが素晴らしい世界だと思ってしまったりする。

ぼくから見て先輩に当たる偉人たちを見てみても、なにかしら世の中に大きな流れが生じたときに、何かを感じたり考えたり思索を巡らせたりするのに十分な時間があった場合、そこから決心を伴う行動に移るケースが多いように思う。「大学時代にインターネットに触れた世代」なんて呼ばれたりする世代が、まさに好例だ。

これを呼んでくれているあなたに、大きな価値観の変化をもたらせた潮流や事象はあるだろうか?そのとき、あなたにはたっぷりと考える時間があっただろうか?人生の転機には、この2つの要素の交わる点が存在しているかもしれない。