ハイパーリンクという偉大な発明を大事にしたい気持ち

きのう書いた、以下のエントリの続き。というか、書き切れなかったこと、というか。

ウェブ上のコンテンツのハードコピーとURLを意識しながらのアクセスについて

先日、FacebookiPhone 向けアプリを使っていて、自分の約1年前の投稿について言及したかったので、約1年前の自分の投稿を見つけ出してきて、そいつの URL を含む形で「この投稿から1年経ちまして云々」という旨の投稿をしようとした。するとね、FacebookiPhone 向けアプリで、各投稿の URL を取得する方法がわからなかったのです。取得する方法はあるのかしらね…?知っている人がいたら教えてください。

そいでぼくは、MacBook の上でウェブブラウザを起動して、そっちの方で約1年前の自分の投稿を改めて見つけてきて、ようやく無事にその投稿の URL を取得して、やりたかったことをやれたわけです。お疲れさまでした。

どうにもこうにも、いわゆるスマートフォンアプリってやつが見せてくる世界は、ぼくが愛して止まない「ハイパーリンクでつながるウェブの世界」とは別物っぽい実装になっていて、完全に別世界ならそれはそれでいいのかもしれないけれど、たとえば LINE の各メッセージの URL を取得したいとはあまり思わないかもしれない、ただ、ウェブブラウザからもスマートフォンアプリからもアクセスできる世界においては、やっぱり「こいつの URL は…?」って思ってしまう瞬間があってモヤッッとしてしまう。でもなんか、スマートフォンアプリって、ユーザに URL を意識させないつくりになっている気がする。まあ URL がヒューマンフレンドリーかって言ったらあんまりそうじゃないか。横に長く伸びがちな文字列を、縦長ディスプレイであることが多いスマートフォンの画面上で上手に扱うの難しそうだしな。

Facebook の投稿の「シァエ」とか、他には Twitter の「リチュイート」とか、自分のサービスのところの投稿を特別扱いしすぎなのではないか。ただただ「任意の URL を含む投稿」という形式であれば、Facebook の投稿もそれ以外も同様にシァエできて、Tweet もそれ以外も同じ形で参照して Tweet されればよいのではないか。

ハイパーリンクが好きすぎて、なにがよくてなにがよくないのかわからなくなってきたなあ。こういうことを考えているとき、体が元気だな〜って感じがしてよい。