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ふつうであること、自然であること

「ふつうかどうかを話してもあんまり意味がない、当人たちの間で納得できるかどうか、当人たちに合っているかどうか、そっちの方がよっぽど大事」

というようなことを、雑談の中で友人に言われて、やっぱりそうだよねぇと安心した。ぼくもまったく同じ気持ち。「ふつう」であるかどうかよりも、「自然」であるかどうかを気にしていたい。一般的には、あるいは、大多数が「寿司にはワサビを入れる」としていても、当人が「ワサビは苦手」ならば、別に食べなくていい。当人が食べたいように食べる、最大限においしく食べようとするのが、自然な姿であるように思う。寿司を食べたいと思うのは自然な気持ち。私、寿司を食べたいです。自分の意思で寿司を食べたいです。

だから、誰かとの間で何かを決めるときは、可能な限り、自分と、そして相手と向き合って、自分たちにとってベストに近い選択を重ねていきたいと願う。「ふつうはこうでしょ」「みんなもそうだし」というのを自分の第一声にするのは避けたいのだ。

とは言え、前半に書いたように、ぼくは友人の言葉を受け取って「安心した」のだから、自分以外のすべての人間が「イエス」と言うことを自分だけが「ノー」と言うのは、ある程度はむつかしいことなのだろう、とも思う。自分にとって自然なもの・自然なことを選ぶのが自然なことで、それには、他の誰かと同じもの・同じことを選びたい、という自然な欲求も含んでいるのだろう。