理系の「ごめん」
自分が理系かどうかなんてわからないし、知ったところで何がどう変わるでもないと思っているのだけれど。ぞぉいさんが描く「理系男子」には、なんだか共感してしまうことが多いのだな。
理系「(きみが求める物事を、僕が推測し予想し慮って行うことが出来なかった故にきみを悲しませてしまったことについては謝るよ) ごめん。(でもその推測は僕の考えでありきみにとっての正答ではないから、始めからどうして欲しいか言ってくれれば僕は行動したので、その点について僕は悪くない)」
— ぞぉい (@zoxoi) June 7, 2011
ぼくも、けっこう、こういう「ごめん」の言い方をする。「今の気持ち」と「今後の改善」は明確にわけたい。こういうことを面と向かって言うと嫌な顔をされそうだから、場面を選んで言ったり言わなかったりするけどね。
続いて、ぼくの大好きなジン=フリークスの言葉も引用しよう。
"仲間に謝る時はルールがある 「次はどうする」か そいつと約束する"
— ✅ 大和田純 公式アカウント (@june29) February 13, 2012
「ごめん」って言うときは、自分の中に「変えた方がよいもの」があって、これからそれを変えていくという約束を含んでいる。と思っている。逆に言えば、自分にはなにもできない状況で「ごめん」って言うのは傲慢だとも感じているのだ。その場しのぎの「ごめん」は、あんまり言いたくないな。
「心苦しい」とか「申し訳ない」って感じる心があることと、自分が「ごめん」って言わなきゃいけない状況は、ちがう。
たとえば、待ち合わせ場所にくる途中で、相手が、少し雨に打たれて寒そうにしていれば、ぼくは「心苦しい」と感じるけれど、ここでは「ごめん」って言わない。「次からは、待ち合わせの日は雨を降らせないようにするね」って約束はできないからだ。そのあとで、寒そうにしていることに気遣いができなかったりしたら、それは「ごめん」って言うかもしれない。「寒そうにしているのはわかっていたから、冷たいものじゃなく、温かいものにすればよかったね、ごめん」は言うことがありそう。