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誰のための「ごめんなさい」か

謝罪の態度

こないだ、お部屋にいるときに、配達の人がやってきた。なんだろうなぁと思ってドアを開けると、配達員さんは「すみません、遅くなってしまいまして…」と勢いよくあやまりはじめたのだ。

ぼくは「ん?」となった。その配達物については特に配達時刻を指定していなかったので、ぼくからすると「遅くなった」という感覚が皆無だったのだ。

配達物を受け取って、伝票にサインをして、お礼をして、見送りながら玄関のドアを閉じるまでの間に、その配達員さんは、ひたすら「すみません…」を続けた。ぼくは少し困ってしまったし、後半には「もうあやまらないでほしい」と願いさえした。

この人は、何に対してあやまっていたのだろう。この日、この人が想定していた通りに作業が進まなくて、思っていたよりも配達が遅れてしまったのだろうか。とにもかくにも、強い自責の念にとりつかれているようだった。

ああ、この人の謝罪の世界には、ぼくは存在しないのだなぁと思った。ぼくが怒っているからあやまっているのではない。この人があやまりたいからあやまっているのだ。その行為によって、ぼくが助かるのか、逆に困ってしまうのか、ひとつも考慮されていないように思えて、ヒョエ〜となった。

ぼくも、自分の「申し訳ない」「心苦しい」の気持ちが大きくなりすぎたときには、同じようにふるまってしまっているのかな。相手が望まないような謝りなら、それは誤りなのかもしれない。