書籍「ピクサー流 創造するちから」を読んだ

ぜんぶ読んだ。おもしろかったです。

ピクサー流 創造するちから―小さな可能性から、大きな価値を生み出す方法

ピクサー流 創造するちから―小さな可能性から、大きな価値を生み出す方法

原著は「Creativity, Inc.」というタイトルなんですね。表紙もバズでかっこいい。邦訳版はどうして黄緑の表紙になったんじゃろな…?

Creativity, Inc.: Overcoming the Unseen Forces That Stand in the Way of True Inspiration

Creativity, Inc.: Overcoming the Unseen Forces That Stand in the Way of True Inspiration

「うおー」と興奮しちゃう場面がたくさんあって、読み終わる頃にはハイライトが106ヶ所にも及んだ。ほぼ煩悩くらいある。

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前半の Ed Catmull の自伝っぽいところはちょっと退屈になった瞬間もあって、「Steve Jobs っていうやばいやつがいてさ〜」みたいなところは読み飛ばしそうにもなったのだけれど、終盤の Steve Jobs への感謝の手紙っぽい章を読んだらうまく気持ちも回収されたので結果的にはよかった。あと、Ed Catmull の大学時代の同年代の友人たちの面子がすごすぎてビビる。この本から何かを学んで取り入れたいところだけれど、著者が身を置いていた環境があまりにもすごすぎると「自分とは違うな…」と思ってしまうね。いや、最初から同じだと思っていたわけではないんだけどさ。

Pixar での映画づくりのプロセス、ソフトウェア開発の現場にも活かせそうな知見が満載でおもしろい。さらに、この本の主題である「Pixar という組織について」の話は金言に満ちていると思う。特に気に入ったやつを自分用に雑にメモしておく。

解決しようとしている問題を樫の木だとすると、その周囲に落ちたドングリから発芽した、その他諸々の問題がある。こうした若木は、樫の木を切り倒した後にも残る。

問題が飛散しちゃうお話、思わずうなずいてしまう。

デミングのアプローチも、トヨタのアプローチも、製品の製造に最も関わっている人々にその品質の責任と責任感を与えていた。作業者は、同じ作業をただ繰り返すのではなく、変更を提案したり、問題点を指摘したり、そして私にはこれが何より重要だと思われたのだが、壊れた箇所を直す役に立ったときに誇りを感じることができた。それが継続的な改善につながり、欠陥を洗い出し、品質を向上させた。言い換えれば、日本の組み立てラインは、作業者の積極的な関与が最終製品を強化する場になった。そしてそれがやがて世界中のものづくりを変えることとなる。

現場の一員として、グッとくる。

よいことが悪いことを隠していたのだ。

これもドキッとするな〜。一見うまくいっているときの不安。

昔、私があれほど科学に魅了されたのは、理解の追究のためだった。人と人との相互作用は、相対性理論やヒモ理論よりもはるかに複雑だが、それだからこそ面白くもあり重要でもある。こうだろうと思ったことがしょっちゅう覆された。映画をつくり続ける中で、私がそれまでピクサーが成功してきた理由だと思っていたことの中に、後で勘違いだとわかったことがいくつかあったが、まちがいようのないことが一つあった。それは、持続する創造的な企業文化を築く方法を見つけること──率直さ、卓越さ、コミュニケーション、独自性、自己評価といったものが重要だと口先で言うのではなく、それがどれほど不快な思いを伴っても、それを有言実行すること──は、片手間ではできない。日々努力のいるフルタイムの仕事だ。そしてそれを私はやりたいと思った。

トップに立つ人がこれを言い切れるのは本当にすごいと思う。スタッフたちも誇らしいことだろう。

アーティストには「遊び」を、監督には権限を与え、社員の問題解決能力を信頼する会社である。

たった1文だけど、いろんなエッセンスを感じる。

この教訓は重要だから繰り返そう。アイデアをきちんとかたちにするには、第一にいいチームを用意する必要がある、優秀な人材が必要だと言うのは簡単だし、実際に必要なのだが、本当に重要なのはそうした人同士の相互作用だ。どんなに頭のいい人たちでも相性が悪ければ無能なチームになる。したがって、チームを構成する個人の才能ではなく、チームとしてのパフォーマンスに注目したほうがいい。メンバーが互いを補完し合うのがよいチームだ。当たり前のように聞こえるかもしれないが、私の経験から言って、けっして当たり前ではない、重要な原則がある。いいアイデアよりも、適切な人材と適切な化学反応を得ることのほうが重要なのだ。

大事なのは人であり、チームである、というお話。

効率は目標の一つだが、品質は究極の目標であると社員に言ったならば、その本気度を示すことが必要だ。

日々の会話においても「効率」ばかりが連呼されているときって、ドキドキするよね。

では、マネジャーはどうしたら自分のグループ、部署、会社に率直な意見交換をさせることができるだろうか。私は、率直さが価値のあることだとはっきりと伝わるような仕組みを敷いて制度化しようとしている。この章では、ピクサーのそうした仕組みの一つである「ブレイントラスト」の働きについて説明したい。

ブレイントラストはこの本の中で何度も語られる重要なポイントのひとつ。後にこれをディズニーの方にも定着させようと奮闘していくお話もおもしろかった。

率直な会話、活発な議論、笑い、愛情。

うむ!

リスク回避も度を過ぎると、企業の変革を止め、新しいアイデアの拒絶につながる。それは見当違いのはじまりだ。企業が落ち目になるのはほとんどそのためであって、限界に挑戦したり、リスクを負ったり、失敗を恐れなかったからではない。 (中略) 失敗する可能性のあることに取り組むのが、本当に創造的な企業なのだ。

うむうむ。

納期を守ることと、部下を育てるという曖昧な義務のどちらかを選ばなければならないとしたら、必ず納期を選ぶだろう。

この続きの部分を読みながら、ブチャラティのことを考えていた。

つまり、大きな組織では一貫性はメリットがあるが、大きな全体の中の小さなグループは、自らを差別化し、独自のルール(そのルールが機能している限り)に従って運営できるようにすべきだと私は固く信じている。

ある程度以上の規模になった組織の分割統治について。なるほど。

ノーツ・デーの何週間も前から社員たちは、仕事のフローを改善し、前向きな変革を実現する方法について、それまでになく具体的に話し合い始めた。社員から考え方のヒントを求められたトムは、この架空の台詞を皆に与えていた。 「時は二〇一七年。今年の映画は二本とも一万八五〇〇人週をはるかに下回る時間で完成できた。どのような革新によってその目標を達成できたのだろうか。具体的に、どんなふうにやり方を変えたのだろうか」

このノーツ・デーというやつ、この書籍の中でいちばん興奮しながら読んだ。スタッフ全員でよりよい在り方について考える日。1,200人ほどのスタッフの気持ちを同じ方向に向けて全力で取り組むの、すごすぎると思った。これをうまくやれるんだから、そりゃあめちゃ強いよなぁという印象。ノーツ・デーやばそう。

プロセスと目標を混同してはならない。プロセスをよりよく、より簡単に、より効率的にする努力は不可欠で、継続しなければならないが、それは目標ではない。すばらしい商品をつくることこそが目標である。

はい、がんばります。

また、この本に書かれている考え方は、四五年という年月をかけて発展してきたもので、その間に数えきれない人々の参与があった。この本は、歴史の本ではない。自分の考えを説明する手段として年代順の記述をしているが、一部の人々──とくに技術的な仕事をしている人々──は、やっていることが複雑でわかりにくいため、本書にあまり登場していない。

Ed Catmull のやっていく気持ちが伝わってきて、たいへん楽しい内容だった。がんばってこ↑↑

かっこいい人

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髪型や服装に気を配ってお金もかける感じの若い男の子が「◯◯くんを意識していて〜」「△△くん、かっこいいじゃないですか」と特定の男性タレントの名前をスラスラと挙げているのを見て、自分にはそういうのないなあ、同じ男だけど別の生き物みたいだなあ、と思ったけれど、あとになって落ち着いて考えてみると、ぼくはよくかっこいいソフトウェアエンジニア像として特定の個人を思い浮かべるし、あんまり変わらないか、とも思った。

かっこよさの軸が違うだけで、男の子はみんな、かっこよくありたいのかもしれない。

函館の様子

2016年7月16日(土)

いつもより早めに起きて身支度を整える。出発。駅に向かう道の途中でネッコと遊ぶ。

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東京駅でメンバーと合流。ちょっと時間に余裕があったから、東京駅の食べ物が売っているあたりをうろうろした。朝からお腹が空いた。

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みんなそれぞれ駅弁を買って新幹線に乗った。新幹線の中では写真を撮らなかったので、もう着いちゃった。スッ。

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新函館北斗駅!この日は快晴、空の青も、山の緑も、とってもきれい。北海道の涼しい空気が肌に触れて気持ちよい。よい旅になりそうと思ってうれしかった。

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函館駅まで移動して、さっそくランチ。旅先の1食目っていうのはめちゃ大事だよなァ〜。

函館駅前!このポーズをせずにはいられないッ!という感じで若者に「四つん這いになれ」と指示を出す。よさそうです。

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宿泊先は不思議なホテル。ハゲ割りというのをやっているので、ぼくが完全体のハゲになったらまた泊まりにこよう(適当)。

ホテルに荷物を預けて身軽になったところで、函館散策を開始するッ!コンビニによったらすかさずカツゲンをチェック。道民の嗜みじゃ。

港町の景色は、まっことよいものじゃのう。

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そのまま歩き続けて金森赤レンガ倉庫の方へ。

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立派なカニの様子を見たり。

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足湯をじゃぶじゃぶしたり。

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オルゴール館に立ち寄ったり。このネジの子は、たしか小樽にもいたなあ。オルゴールを見ると小樽を思い出す。

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景色がいいなあ。

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ついにきてしまった、ラッキーピエロ…!存在感が本当にすごい。久しぶりにバーガーとポテトを食べて「おいしい〜」ってなった。

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腹ごなしも済んで(とはいえ旅行中はだいたいずっと腹ごなししていた…)、初日の重要スポット「函館山」へ。

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夜景も夜景以外もめっちょよくて、でも北海道新幹線と3連休の効果なのか人が多くて、落ち着いて写真を撮ったりはできなかったから雑なやつを貼っておこう。

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下山してきてからは、やばい居酒屋で旨すぎるお料理を食べてお酒を飲んで最高だった。

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初日はこんな感じでおしまいです。

2016年7月17日(日)

最初っからクライマックスなので早朝から活イカや寿司を食べていて死にそう。

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気持ちがありそう。活気があって、歩いているだけで楽しい。

2日目は車を借りて函館市街地を飛び出す。

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馬の牧場に着く頃にはランチタイムだったので、ここでピッツァを食べる。激ウマ。ピッツァがおいしすぎて知能の低下を感じる。あっという間に食べ尽くした。

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生憎の空模様だったのでお馬さんたちと遊ぶのはあきらめて、ピッツァだけ食べて馬の牧場を去った。幻想的な場所だった。

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また車を走らせて、今度は牛の牧場へ。ここでは激ウマのソフトクリームを食べたのだけれど、すぐに消化してしまったので写真は残っていなかった…。

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この日は道が混みそうとの情報を得たので、早めに車を返していったんホテルに戻って休憩する。お部屋の中で珍しい落とし物を見つけてキャッキャしていた。

さて!腹も減ったし(本当か〜?)、次はラーメンに行くぞ!函館といえば塩ラーメン。あんまり下調べしていなかったので、その場でがんばって探して、ようやく見つけたお店がスープ切れだったりしつつ、流れついたお店がだいぶいいお店でラッキーだった。めちゃウマ。

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無事に食料を獲得したあとは、たまたま「今夜、函館港の花火大会がある」と知ったので港の方に向かう。旅行先で花火大会に参加できるのうれしい。人が多すぎず、ほどよい規模の素敵な花火大会だった。花火の GIF 画像、適当に撮っても確実にめでたい感じになるので、この夏のオススメです。

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花火で心は豊かになっても空腹(?)は満たされないので、帰り道で居酒屋に入る。もう何食目かはわからないけれど、ちょっとでもお腹が空いたらすぐチャンスだと思って食べちゃう。暴食。

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2日目はこれでおしまい。満腹でホテルに帰ってすぐに寝たと思う。

2016年7月18日(月)

最終日の朝!朝食は華麗にハセガワストアの焼き鳥弁当。なんやかんやで函館にくると食べちゃう。

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朝食を済ませたあと、お土産を買う時間にした。北海道の銘菓は選ぶのも楽しいね。ホテルをチェックアウトして、楽しい旅も残りわずか。まだまだ行くぞ〜とスナッフルスへ。チーズオムレットは最高。

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ここからは駆け足で。函館駅のあじさいで塩ラーメンを食べて、新函館北斗駅へ。北斗市は北斗推し。

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帰りの新幹線では、行きの新幹線でも席が近かった家族と再会してご挨拶。行きも帰りもいっしょだったんだね〜。

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俺たちの函館旅行はこうして終わり、そして夏が始まっていた…。

「Rubyのしくみ」読書会を終えて

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ぼくが今の会社に入ったときには、毎週火曜日のランチタイムに Ruby 関連の洋書を読む読書会がすでにあって。入社直後に誘ってもらって、そのときの課題図書だった Metaprogramming Ruby 2 をみんなでいっしょうけんめい読んだ。たまにぜんぜん意味を取れない英文と対峙してヒィヒィ言ったりしながらも読んだ。

Metaprogramming Ruby 2 を読み終わったのが2015年末〜2016年初頭くらいで、その次に「なにを読もっか?」ってなって Rubyのしくみ Ruby Under a Microscope を選んだ。洋書じゃないけどいいか、ってことで。

2016年6月21日、約5ヶ月かけてこの本を読み終わった。

「メタプロ2」も「Ruby のしくみ」も、ふだん「ただ使っているだけ」になりがちな Ruby の内面を見せてくれておもしろい。小学生時代にスーパーファミコンのコントローラを分解して遊んだときの興奮を思い出させてくれるような気がする。しかも Ruby の場合、簡単な実験スクリプトを書いて内部実装を垣間見ることができたりしておもしろい。もっといえば、もちろん実装そのものをすぐに見ることができるのだ。

別の効能として、イベントでまつもとさんやささださんにお会いしたときに「ありがとうございます」って言いたくなるのもうれしい。ぼくは Ruby がなかったら今頃どこにいて誰とどんなお仕事をしていたかけっこうわからんな〜と思っていて、こうして内部設計を知ることで作者の人たちに心理的に近付けたような気にもなれる。

次は Programming Phoenix を読み始めた。社内には Elixir 大好きっ子の @Joe_noh くんがいるので、わからないところは都度で教えてもらったりしながら読み進めている。今後も楽しそう。

スーパーリセットという取り組みと、物事の必要性について

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スーパーリセット | ペパボ社長ブログ

ケンタロさんのエントリにある通り、社で「スーパーリセット」なる取り組みがあり、2016年7月を迎えたタイミングでいろいろが実施された。毎日の朝会・夕会、それから毎週月曜日の朝礼、週次の定例ミーティング等々がいったん廃止され、社で活用しているコミュニケーションツールも業務上最低限のところまで削ぎ落とされた。社の Slack のチャンネル数は、たぶん7分の1くらいに減った。

「ちょっと整理してみましょう」という呼びかけではなくて「スーパーリセットです!」と掲げられたことの意味を、ぼくは考えていた。

たしかにこれは廃止しちゃってよさそうね、というものは、そのままお見送りして廃止になったけれど、スーパーリセットされた直後に「これは必要なので再開します」と元に戻されたものも、けっこうある。これを見ると、スーパーリセットとは「必要なものと、そうでないものを仕分ける」ことであったのだ、と捉えることができそうだ。だけど、それだけではないだろう。

「必要か?」という問い

ぼくは「必要」という言葉と向き合うときは慎重になるところがある。もしかしたら「必要」という言葉に苦手意識があるかもしれない。「必要か?」という問いはなんだか決定的で、回答は「はい or いいえ」の二択を期待されているように感じてしまう。そしてたぶん、ぼくの人生において必要なこと、つまりそれがないと死んでしまうというものは本当に一握りになってしまうけれど、ぼくの人生において大事なものっていうのは、それよりももっとたくさんあったりするのだ。

だから今回のスーパーリセットという取り組みについて考えるときも、各種の物事について「必要か?」というよりは、「どうして必要だと感じていたか?」と Why を問う形で向き合いたいと願っていた。たとえば、どこかのチームが「リセットされちゃったけれど、朝会はやっぱり必要なので再開します」「そうですね、再開しましょう」となるのはよいとして、「では、なぜチームメンバーたちは朝会を必要と感じるのか」を深堀りして考えることで、より深く自分たちの日々の活動を理解できるようになるだろう。より鮮明に「この成分が大事」というものを捉えることができれば、それを朝会以外の方法で成し得ることもできるのだから。

必要ではないかもしれないけれど、大事なこと

今回、社の Slack から多数のチャンネルが消えていった。その中には、社内の同好者たちが集う「部活」っぽいチャンネルも含まれていた。気の合う社員・話題の合う社員たちが集まって話すチャンネルは業務上、必要であるか? …と問われれば、ぼくは「いいえ」と答えるだろう。だけれども、決してそれらが無駄であったとは思わない。同様に「業務上、有益であったか?」と問われたなら、ぼくは迷わず「はい」と答えられる。

中途入社で合流した身として、最初の1〜2ヶ月ほどは不安も多かったものだ。スタッフは300人ほどいても、業務上直接の接点がある人は、10人前後だっただろう。残りの人たちともなんとか接点を持てないものかと考えたとき、Slack の各種チャンネルは非常に心強いものだった。そこで初めてお話することができた、同い年の人たちや、共通の趣味を持つ人たちとは、のちに業務で接することになったときに、実にスムーズにやりとりできたものだ。加えて、社内のいろんなところに気を許せる人たちがいると、ここには自分の居場所があるという心理的な安全を感じることもできた。

ぼくのようなひとりのスタッフが日々を健康に過ごして健全な気持ちで業務を遂行していくに当たって、必要ではないかもしれないけれど大事なことというのは、たくさんあると思っている。今回のスーパーリセットのような取り組みを通じて、各スタッフが大事なことに気付き、自覚的にそれらを守って育てていけるようになると、うちの会社はもっともっと組織として強くなっていけるんじゃないかなあ。

というわけで、ぼくが「こういうのは大事」と考えているものについては、スーパーリセットで吹き飛んでしまったりもしたけれど、きちんと理由を自覚した上でリビルドしていったりしたいと思っています。がんばるぞ〜。

ちょっとメタな視点から

スーパーリセット、ぼくは非常にポジティブに受け止めた。変化を受け入れられる組織は強いと思う。逆を言えば、変化できなくなった組織は緩やかに死んでいくものだと思っている。うちの会社は、今回の取り組みの他にも、節目節目で大きな変革を勇気をもって邁進していて、その実施内容に対しては賛否があるかもしれないけれど、とにかく変化から逃げないところは大好きだ。

そういや、こういう全社的な取り組みについてなにか感じたとき、公式にフィードバックできる窓口みたいなのがあるといいんかなあ。スタッフみんなそれぞれ思っていることはありそうで、ぼくの耳に入ってきているものもあるのだけれど、意志決定者にうまくフィードバックされていなかったらもったいないな〜と思った次第。

まとめ

社のスーパーリセットという取り組みについて、思っていることなどを書いた。これは別になにかに向かって「やめろ!」と言っているわけではないと思うので、スーパーリセット後のまっさらな大地に新しい種をどんどん植えていきたい気持ち。むしろ、こうしてリセットされるタイミングがあることで、スタッフ各位が気軽にいろいろを試せるようになっていけばいいと思う。そうして、スタッフひとりひとりが自分の過ごす日々について自覚的になり、自身の日々を自身でデザインしながらいきいきと働いていけるとよさそう。

立ち止まって考えるきっかけをくれた今回の取り組みには感謝している。2016年下半期もますますがんばっていきましょう。