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投票思考

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最近になって「自分の考え方って、こうなのでは?」と思うものがあったので整理を試みる。

ぼくは自分の行動を選択するときに、しばしば「どっちの未来に投票したい?」といった観点で対象を捉えているようだ。最近の話題でいえば、下記のような具体例があったと思う。

  • 超絶人気のグループが「解散したい」と表明したときに、彼ら彼女らの意志で「解散できる」社会と「解散できない」社会と、自分はどっちの未来に投票したい?
  • なにかを新しくはじめた人がちょっとした失敗をしたときに「それを受け入れて、応援する」社会と「それを責め立てて、辞めさせる」社会と、自分はどっちの未来に投票したい?
  • 一部の判断能力の低い消費者をカモにして利益を上げている企業が「業績を伸ばして躍進する」社会と「こんなことは長くは続かない、と考え直して方針変換する」社会と、自分はどっちの未来に投票したい?
  • 小さな子どもを育てている最中のお父さんお母さんが「まわりの協力を得ながら、子どもといっしょに楽しく成長していける」社会と「肩身の狭い想いをして、まわりに恐縮してその時期をやりすごす」社会と、自分はどっちの未来に投票したい?

具体例は実のところなんでもいいのだけれど、毎日をがんばって生きながら、こんなふうに考えていることがよくある。

ぼくたちは「情報大拡散時代」を生きていると言えよう。ひとりひとりのひとつひとつの発言や、自分以外の誰かの発言を流布させる行為の影響は、必ずしも大きいものではないとしても、それが時として巨大なうねりとなり、どこかの誰かの人生を大きく変えてしまうなんて現象は、2016年にスマートフォンを所持して暮らしている日本人であれば、誰しもが見たことのある光景だ。もはや珍しいことではない。

そんな中において「なにを発言し、なにを発言しないか」「どの発言に反応し、どの発言に反応しないか」の判断を、目を覚ましている間中ずっと求められていると言っても過言ではない。これはなかなかに大変なことだ。

ぼくは自分の行動ひとつひとつが、社会に対する「投票」行為になると思っている。せめてほんの少しでも、自分がよいと思える未来の方に傾けるべく、小さな一票を投じながら生きているのだ。当然、自分が投じた一票が常に社会を自分が望んだ方向に導いてくれるわけではない。自分以外の大多数の人たちの興味や関心によって、自分にとっては望ましくないつらい方向に社会が舵を切っていくように見えることもしょっちゅうだ。だけどせめて、社会がどう考えても望ましくない事態を引き起こしてしまったときに、本当にせめて… 「この社会に自分は加担していたんだ」と思わずに済むように、自身の心の平穏は守り続けたいと思う。

ときとして、ある人の発言が、その人にとっても望ましくない方向への投票になってしまっているように見えるときがあって、複雑な気持ちを抱くことがある。あなたの行動は、あなたの未来のためになっているだろうか。試しに、こんな観点で自身の行動を鑑みてみるのもいいかもしれない。