シャンプー選び
奥さんが新しいシャンプーを買ってきてお風呂に設置してくれたので、ぼくはそのシャンプーを使う。それが、以前に使っていたシャンプーと同じかどうかはあんまり気にしない。よほど肌に合わないとか、よほど匂いが気になるとか、そういうふうでなければ、シャンプーはなんだっていいのだ。頭皮のかゆみを感じずに日々を過ごせさえすればそれでいい。
ふと、ぼくのこれまでの人生におけるシャンプー選びについて考えてみたくなった。そうしてこのエントリを書いている。
生まれてから小学校を卒業するまでの間は、そもそも「シャンプーを選ぶ」という発想もなかったと思う。家の浴室にある、親が選んで買ってきたものをそのまま受け入れて使っていたことだろう。はたしてどんなシャンプーを使っていたのか記憶にない。石鹸ではなかったような気はする。この時期にはテレビのCMで「リンスのいらないメリット」「ちゃんリンシャン (ちゃんとリンスしてくれるシャンプー)」「ティモテ〜 ティモテ〜」といったフレーズが連呼されていたような気がする。
中学生になって、まわりより少し遅く思春期を迎えたぼくは、次第に自分の髪の匂いや髪型などを気にするようになっていった。整髪料をつけてみたくなった時期でもあり、シャンプーに意識を向け始めたように思う。この時期は資生堂ファイントイレタリー「ティセラ」という香りが強めのシャンプーが猛威をふるっていて、通っていた中学校の音楽の先生もティセラを愛用していた。廊下などですれ違うときに香りを感じたものだった。
10代後半には実家を出て学生寮に入ったので、必然的に自分でシャンプー・リンス・コンディショナーを選ぶことになった。その割には、この時期はなにを使っていたのかぜんぜん思い出せない… もしかすると、出費を抑えるために、そのときそのときでドラッグストアで安く買えるやつを選んでいたかもしれない。でもたぶん、なんとなくヴィダルサスーンを使っていたような覚えもある… うろ覚え。
大学〜大学院は実家から通える場所にあったため、ここで一度、実家暮らしに戻った。この時期はぼくを含めて4人いる兄弟の全員が実家にいたため、実家の浴室には種々のシャンプーやらリンスやらコンディショナーやらボディーソープやらが所狭しと並んでいた。みんなそれぞれ、自分の使いたいものがあって、それを好きなように並べていたのだ。
社会人になって上京し、一人暮らしが始まった。当然、シャンプーは自分で選ぶ。もうこの時期には「まぁ、これでいいかな」という固定の選択があったっけな。そんなに試してみたいこともなくて、無難な選択を繰り返すようになっていた。たまに、お世話になっている美容室で髪を整えたあとに「こんなシャンプーもありますけど、よかったらいかがですか?」と問われることはあったが、毎回「いいえ、結構です、すみません」と断っていた。
そして今、奥さんと2人での生活に至る。奥さんが選んでくれたシャンプーをそのまま使っている。
今日、同僚が UT Picks を利用していると教えてくれて、これがけっこういいとのことだった。毎月、自動で選ばれた5枚のTシャツが送られてくるやつ。また同時に、小津安二郎さんの
なんでもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う。
についても言及していて、なるほど〜と、ぼくはシャンプーのことを思い出していた。
人生は有限で、みんなそれなりに忙しく毎日を過ごしていて、ありとあらゆる選択についてそんなに一生懸命に「ベストな解を!」なんてやっていられないわけで。それなりにどうでもいいことについては、あんまりコストをかけずに「じゃあ、これで」って選んでおいて問題はないわけだ。
ぼくにとってシャンプーは、まさにそんな対象だと思った。