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淘汰と呑気

人生の先輩の声に耳を傾けてみましたからの引用。

SCOTT SPANGLER
Success is when you can spend 90 percent of your time doing the things you want to do and only 10 percent doing things you have to do. Most people’s lives are just the opposite.

成功とは人生の90%の時間を自分のやりたいと思うことにあて、残りの10%をやらなくてはいけないことに費やすこと。ほとんどの人の人生は逆である。

なるほど、なるほど。ぼくもこの歳になるまでだいぶ好きなことをやらせてもらえる人生だったと思う(まわりに、特にこれに関しては先輩たちに感謝)けれど、90%も注げているかというと、そこまでじゃないかもなぁ。

この主張によれば、ほとんどの人の人生は「成功じゃない」ってことになる。

じゃあ、みんながみんな「成功している」状態って、それってどんな状況なんだろう。ぼくの想像力が貧弱なんだろうか、人間が10,000人いて、10,000人みんなが成功している状況、なかなか想像できないや。

「淘汰」のことを考える。たとえば地球ってやつのキャパシティを考えてみると、事故死する人間が減って病死する人間が減って餓死する人間が減って… とずっとずっと人類が努力して前進(ここではあえてそう呼ぼう)していったとしても、それを受け入れる地球のキャパシティは変わらないんだから、やっぱりなんらかの序列や基準がはたらいて、この線からこっち側の人は◯◯ね、みたいなことになっちゃうのかもしれない。ぼんやりと考えるのはつらい。でも、今の日本、食料は充分にあると思うし、動物としてみればずいぶんと安全な環境にあるだろうけれど、やれ学歴だ、やれ職歴だ、みたいな、そういう序列がはたらいているように見受けられる状況ってのはあって、住む場所も食べるものもあったとしても、なんか劣等感だったり敗北感だったり危機感だったりってのは、依然として残っているように思う。あるレイヤーでみんなが満たされました、本当によかったですね、となったら、次のレイヤーで勝ち負けを決めるしかない、みたいな。引き分けの場合は勝敗が決するまであいこでしょ、勝利数と敗北数は同じでも得失点差でいうとこっちがいい、みたいな。ぼんやりと考えるとつらい。

天道虫

それでもぼくが呑気でいられるのは、ぼくができることはせいぜい、ごくごく身近な人たちの笑顔と幸福を祈ることくらいだ、そんなふうに割り切ってしまっているからなのだろうか。これがもし、ごくごく身近な人に、不幸としか思えない事象が襲いかかったとしたら、今みたいに呑気ではいられないのだろう。「1人の成功者の裏側には、9,999人の失敗した人がいる」なんて客観的に言えるのは、ごくごく身近な人がその9,999人のうちの1人だと思っていなくて、ごくごく身近な人が目を覆いたくなるほどの非道い目にあっていないからなのだろう。自分には息子や娘はいないからわからないけれど、我が子が難病にかかったら、きっとそれは腹立つと思うし、自然の摂理だからしょうがないねぇなんて思えないと想像する。天への祈りは、運命への呪いに変わってしまうかもしれない。

大局的には呑気だけれども、局所的にはいつも危機感を抱えている。明日も、ぼくの身近な人たちが幸せに包まれていますように。祈りは、いつまでも続いた。