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円満

めでたくご結婚された夫婦の新婦さまにお誘いいただいて、長野県で開催された結婚パーティに参加してきた。フローラルガーデンを会場とした、とても素敵なパーティだった。

一輪

ぼくがこれまで参加してきた、およそ10から20ほどの結婚関連のイベントでは、締めの挨拶は新郎が担当していて、なんとなく、風習として、男女にとっての社会的に大事な場面は「男が担当する」ことは多いと感じる。そういったシキタリの類には疎いであろうぼくでも、そう感じてしまうくらいの雰囲気はあると思う。男女にとっての最重要級のイベントであるところの「出産」については、風習とか雰囲気なんかが及ぶ余地なく、女の人に任せるしかないことを考えると、その他のもろもろを男が引き受けるというのは、そう悪いバランスではないとも思っている。

さて、今回の結婚パーティでは、涙が止まらなくなって言葉が詰まってしまった新郎に代わって、参加者に向けて新婦が言葉を綴ってくれた。それはとても素晴らしい内容で、ぼくも強く心を打たれた。強さと優しさと美しさは、すべて同じものを指している概念なのではないかと感じさせてくれる、強くて、優しくて、美しい新婦の姿がそこにはあった。

そんな光景を見て浮かんできたのが「円満」という言葉だ。ときとして社会は、「男なんだから」とか「もっと女らしく」といった論調で個人に迫るだろう。だけれども、たとえば今回のご夫婦、おふたりに関していえば、ふたりでひとつのきれいな形を描いていて、それはすっと丸く納まっている関係に見えた。ぴったりと合わさっているふたりを見たときに、男だからどうだ、とか、女だからどうだ、と発想するのは野暮なことでしかないように思えた。

ひとりひとりはきれいな形じゃなかったとしても、誰かといっしょになったときに、その円を満たすことができるのかもしれない。