考えることが好き

最近また、いつもの仲間たちとワイワイやっている時間と空間があって、超絶幸福企画とはいえプロジェクトだから大きなミスだけはしないようにってハラハラしつつ、いつもの感じで安心するなぁって、楽しみながら取り組んでいる。

ぼくの身近な人たち、頭も動くし手も足も動くし、という感じで、いっしょにやっていて本当に助かるんだよね。なんか、すごいなぁって、よく思っている。ひとつひとつのことがどんどん進む、並行してどんどん進む、その中にいて、景色が流れて変わってゆくのを眺めるのが好きだ。夜の街道沿いで、横に線を引くテールランプを眺めている、ような。

ふと、なんかの帰り道とかで、ふらっとコンビニに寄ったりして、たまたま居合わせた他のお客さん同士の会話であったり、店員さん同士の会話なんかが耳に入ってきて、自然と意識を向けてしまうことがある。そんなときに思ったのが、ぼくの身近なところにいる、いつもの仲間たちってのは、考えることが好きな人たちばかりなんじゃないかなぁ、ってこと。これはけっこう偏っているんじゃないかな、ってね。

世界をふたつにわけたとして、世の中の半分?くらいの人たちは、そんなにそんなに考えることは好きじゃないのかもしれない。むつかしいことを考えずに、それでいて平和に安心して暮らしていけたら、それでいいもんね。企業の役員だったり、創業メンバーのひとりだったりすると、日々は悩みの連続だ、否が応にも頭に鞭を打って働かせなきゃいけなくなる(そうしなきゃ箱が潰れる)し、それが当たり前のようになってくるのかもしれない。きっと、考えることが好きじゃなきゃ、やっていられないよなぁって。

こんなことをわざわざ認知して書いていること自体が「考えること」そのものなわけで、まあ、そういうことなんだと思う。にゃーん。