ぼくと釧路

これは 釧路 Advent Calendar 2013 の参加エントリです。12月1日を担当する、じゅーんと申します。どうぞよろしくお願いいたします。

今年は Adventar の開発に関わることができて、せっかくなのでぼくの身近な人たちにも楽しんでもらおうと思い、25日を完走できそうなエネルギーあふれるコミュニティと言えば… と考えたときにすぐに頭に浮かんだのが、釧路の人たちのことでした。独特の熱気がある釧路のコミュニティならば、たのしいブログリレーができるのではないか!その目論見は見事に当たって、わりと早い段階で25席が埋まったのでした。

それでは、勢いよくスタートを切ってみましょう!

ぼくと釧路

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ぼくが釧路に住んでいたのは、中学校2年生だった1997年6月から、高専を卒業した2004年3月までのこと。およそ6年半という期間です。年齢でいえば、14歳になる直前から20歳を過ぎるまで、になります。

一口に6年半といっても、人生のどのフェーズの6年半かによって、その土地との関わり合いはずいぶんと変わってくることでしょう。ぼくが釧路にいた6年半は、俗に言う思春期のころのお話なので、たとえば「居酒屋」事情はまったくわからないのでした。20歳を過ぎてからの6年半だと、きっともっと、釧路の素晴らしい飲み屋さんとか、炉ばたとか、詳しくなっていたのかもしれません。そういうパターンも生きてみたかったな。釧路の飲み屋さん。じゅるり。

思い出巡り

実は、釧路には、住み始める前に一度だけ訪れたことがありました。小学校4年生のとき、網走で小学生業をこなしていたぼくは、仲の良い友達とふたりで、汽車で旅行にきていました。友達の親戚の家に泊めてもらったんだっけか。移動の汽車の中では、ふたりで「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」を歌っていました。なつかしすぎる。あと、釧路観光中にぼくがお財布を落として大変なことになった。

中学校のころ、ぼくは駅裏の地域に住んでいました。この地域には、パチンコ屋さんと男女向けの宿泊施設が多かったように記憶しています。「アダム&イヴ」とか「白夜」とか。そういえば、ホテルローヤルがどこにあるのかは知らないな…

中学生だったぼくは新聞少年でもあって、カケハシ眼科のあたりのエリアを担当していました。なんか「新聞少年の日」みたいなイベントで、ビンゴ大会かボーリング大会かなにかしらの大会で自転車をゲットしたような覚えがあります。釧路の冬の新聞配達は本当に大変で、早朝、適当に寝癖を直してちゃんと髪を乾かさずに出発する習慣のあったぼくは、家を出て5分で髪の毛がバキバキに凍り、だけれどもそんなことはお構いなしに一心不乱に新聞を配りまくっていました。ブラックアイスバーン状態の道路の上を自転車で進むと、たまに一切の予兆なくタイヤが横滑りして、体の中心の位置はズレないまま、自転車のタイヤが横方向にスカーンと流れていくときがあるんですよ。あれが恐怖で。カゴに詰めてある新聞たちはザザーッと道路に広がっていくし、打ち所が悪いと体を痛めますしね。もう今のぼくにはこなせないお仕事でしょう。

たまに駅の表の方に遊びに行ったりもしました。当時はスガイのゲームセンターや、和商市場近くのイズムが盛り上がっていたような。週末となれば、フィッシャーマンズワーフ MOO にもたくさんの人が集まっていたはずです。木場の方が一気に賑うちょっと前だったのかな、ポスフールは、まだサティだったかもしれません。ポスフールで短期のアルバイトをしたこともありました。昭和にイオンモールができたのも、ぼくが釧路にいた間のことです。

ちょうど地域振興権をゲットできる年齢だったので、たしか2万円分の買い物をしました。釧路市在住だったぼくは、「釧路町では使用できない」という区分にほのかな疑問を覚えていたのでした。中学生からしてみると、自転車で行ける範囲はぜんぶ「釧路」としか思っていなくて、それが「釧路市なのか釧路町なのか」には無頓着でした。

成人式も、釧路のものに参加しました。たしか記念品は爪切りで、成人のお祝いに爪切りをもらってうれしい、ってどういうシチュエーションなのだろうって、だいぶしんどかった覚えがあります。

ぼくが釧路を離れてからもう10年ほどが経つので、脳内の情報がだいぶ古くなってきています。とある高校のお話をしていても「その高校、もうなくなったよ」なんて言われてしまったり。

そんなぼくなので、今回の Advent Calendar で、フレッシュな釧路の情報をキャッチできたらいいなぁと思っています。

まとめ

スパカツ

釧路 Advent Calendar 2013 の参加エントリとして、12月1日の担当分を書きました。多感な時期を過ごした釧路時代のことを思い出しながら言葉を並べていきました。

明日、12月2日は、我らが @kazuyoshi 兄さんが書いてくれるはずです。ぼくが釧路を離れてから出会うことのできた、生粋の釧路人。@kazuyoshi 兄さんがいなかったら、今のぼくが釧路に足を運ぶ理由はもっと少なかっただろうし、この Advent Calendar もなかったかもしれませんね。どんな釧路愛を綴ってくれるのか、とても楽しみです!