少年期の友人たちと今でも楽しく会話できるだろうか

かつて同じ価値観を共有できた親友同士が今では何も共感できないくらい遠い場所で生きてる話を読んだ。おもしろかった。

おもしろかった、といっても、それは funny だったわけじゃない。いろいろと思わされてしまうな、という意味で interesting だった。けっこう気分はズシーンとしている。

以前にもぼくはウェブと云う國というエントリを書いていて、自分はウェブという国に住んでいるから、別の国の国民の人たちとはちょっと共通の話題が少ないところあるかもな、なんてお話を書き散らかしたことがあるので、先に紹介しておく。

さっき、とあるサービスの API が気になってドキュメントを読んでいた。今日の朝の電車の中では「自分が1日に5分だけしか使わない、だけど毎日5分ずつ使うアプリ」をつくりたくて、どんな設計にしたものかと考えていた。お仕事中には「ステージング環境を増やしたい状況になってきたけれど、それは今日やるべきだろうか」とか「HTML構造を組み立てていくこと、と、タグを含む文字列を連結してHTML文字列を組み立てること、はまったく別の作業だな」とか、そういうことを考えたりした。

この手のお話が、ぼくの生活の中の思考の中の、一定の部分を占めていて、楽しみながらちょくちょく考えている。

なんだけれど、ぼくにとって楽しいこういうお話を、少年期の友人たちといっしょに話せるようなイメージが沸いてこなくて、よくわからないけれど、これでいいんだろうかって漠然と不安になることがある。当たり障りのない話題を選んで間を持たせることはできるだろう、とは思うんだけどね。

じゃあ、自分のまわりにいる人たちがどうかって見渡してみると、昔の友人たちとの交流もきちんと大事にしているように見える事案もあって、それは素晴らしいなぁと思うし、なんとなく羨ましいと思う気持ちもある。

ただ、こういうことを考えるときには、どうしても「引っ越しの多い少年期だった」という事実を無視できない。ぼくに「地元」と呼べるような市町村があって、ボンクレショーガツに帰省したときにいつものメンツに会いに行ける、なんて環境があったら、今のぼくが抱いているこの感覚も、ぜんぜん違ったものになっているのかもしれない。

確かめることのできないものに対する不安なのかなぁ。開けることのできない箱が部屋にずっとあって気になってしまう、みたいな。もしぼくに、今でも連絡を取り合っている小学校時代の友人がひとりでもいて、今でもそいつと会ってはバカなお話で盛り上がれていたら、こんなエントリなんて書かなかったのかな。

母親が言うことには、幼い頃のぼくは、赤いお洋服がよく似合う子だったそうです。