コード書き

偶然じゃないもの、ってあると思う。たとえば、今の文明が滅んで、まっさらなところから文明がスタートするとして。ぼくは、それでも人は「歌を唄う」んだろうなって、なんとなく思う。空気を震わす音を楽しみ、木や石を打ち付けたりして、リズムを刻んだりするんだろうなって、思う。

プログラミングは、どうだろうなあ。ずいぶんと高度な文明に思えるから、リセットされたあとの世界では、もうコンピュータや、それを制御するプログラムなんてものは、出現しないのかもしれない。今の自分が身を置いている場所には、そういうちょっとした儚い雰囲気があるって、ぼくは認めている。

最近、音楽をテーマにした漫画をいくつか読んでいて、この文章を書くに至った。漫画の本からは「音は鳴らない」ものだ、電子書籍になれば「音を鳴らす漫画」というものも実現できるだろうけれど、ぼくが読んでいる漫画からは音は聴こえてこない。だけれど、物語の中の登場人物たちがとてもキラキラと眩しい姿で音を奏でている姿を見ていると、なんだか本当に空気が震えて伝わってくるような錯覚に陥る。その漫画家さんの表現が素晴らしいってのはもちろんだとして、読み手であるぼくにも、音を感じ取る能力が備わっているということの表れだと思った。それで、冒頭に書いたようなことを、あらためて思った。



ペラペラのページの中で音とともに生きる彼らは、とても楽しそうで、うらやましくて。即興、セッション、その場の空気。「今すぐにでも、音に飛び込まずには、いられない」という表情を見せる。そんな表情で魅せる。ぼくはまんまと、それをうらやましいと思う。



でもね、ぼくにだって、ぼくらにだって、そういう瞬間はあるんだよ。仲間たちと「あれ、すごいよねー」「見た見た」「あの部分なんだけどさー」「うんうん、いいよね、あの仕組みを使ってさ」「あれと組み合わせるとおもしろいかも」「おおっ」なんて、会話がリズムを帯びるときがあって。「いけるんじゃない…?」みたいな感覚を、その場のみんなで共有できたとき。そうだ、ぼくらは MacBook を開いて、キーボードを鳴らす音を響かせはじめているんだ。ぼくらのそれは、まわりから見て、あんまりわかりやすいものではないかもしれないけれど。ぼくらを夢中にさせる熱気ってのは、たしかに存在しているんだよ。

社会からなにかしらの役割を期待される「プログラマ」や「エンジニア」という立場を離れたとしても。ぼくはコードを書く手を止めないだろう。今のぼくの生業が、文明の気まぐれによる偶然の中にあったとしても。歌唄いさん、絵描きさん、そんなアーティストな人たちに負けないように。ぼくも、ガローアのコード書きとして、ゆるゆるっと生きていきたい。