ノロマなぼくはノルマを達成できない

数年前だったかな、いつだったか読んだ文章の中に「常識的に考えて欲しいだけなんです!」というフレーズがあって、今もこのフレーズを思い出しては重たい気持ちになることがある。

言った側にとってみれば、これは「むつかしいことは言っていない、多くは求めてはいない」という謙虚さの表現を含んでいるように思う節もある。一方で、言われた側にとってみれば、場合によっては「こんなこともできないのかよ」と冷たく突き放されたように感じてしまうかもしれない内容なのだ。この、言った側と言われた側の間に存在する、激しい断絶(ギャップ)みたいなものを想像したとき、やはり気持ちは重たく沈んでしまう。どうか、世の中のいろんなコミュニケーションが、お互いに寄り添い合うような輪郭を描きますように…

同種のフレーズに「これに時間をかけなくていいんで」というのがあって、研究室時代かな、物事を素早く進行できないぼくはよくこんなことを言われていて、その度に自分の非力さを呪ったものだ。時間をかけたくてかけているわけじゃない。時間は、必要な分だけかかってしまう。本質的な作業じゃないことは理解していても、時間がかかってしまうんだ。「ノロマが!」と言われている気持ちになってしまう。

自分はどうかなあ、誰かに対して「◯◯だけでいい」というフレーズを投げ付けていないだろうかなあ。謙虚なフリをして、相手の基準値を鑑みない要求をぶつけていないだろうかなあ。気を付けたい。

タイトルにあんまり意味はない。