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攻略本を読んでわかったような気になる

ウッッ…… まあ、婚期のお話はいいとして、観察については思うところがある。

小学生のとき、ゲームそのものは買わずに、攻略本だけを買って楽しむ行動特性があった。具体的には、ファイナルファンタジー5ドラゴンクエスト5、どちらも、カートリッジは所持していなくて、だけど、攻略本は熟読していた。お金がなくてカートリッジを買えなかった、という面もあるけれど、それにしても、攻略本を読むのは、純粋に楽しかった。

登場人物、ストーリー、世界地図、モンスターデータ、アイテムデータ、ダンジョンデータ、などなど。後に名作と呼ばれるようなゲームは、その世界観からしてエンターテイメントなのだ。ぼくはひたすら観劇を続けるうちに知識をためこみ、友達がゲームをプレイする際の「助手席の人」として重宝されていた。

幼少期から少年期にかけては、失敗を恐れる子だった。たぶん、環境の影響で「誉められたい」よりも「怒られたくない」という気持ちが強かったので。実際にゲームをプレイして、ここでしか入手できないアイテムを取り損ねた、みたいになると、最初からやりなおしたくなっちゃう子だった。妙な完璧主義というか。掘り返してみたら、このお話はSimCityに対する苦手意識はいつの間にか消えていたにも書いていた。

ほいで、今は気質が変わっていて、たとえばプログラミングに関して言えば、リファレンスを隅々まで読むよりも、ある程度までわかってきたら、あとはどんどん手を動かしてスパイクコードを書いて動かす方がやりやすい、って感じるようになってきた。バグは出るし、よくないコードも書いちゃうけれど、「ものづくりに失敗は付き物」という前提の上に立てるようになったのが大きいと思う。

…と思っていたのが、冒頭のツイートを読むまでのお話。

とにかく「人」に対しては、いまだに「攻略本を読む」癖が残っているのかもしれない。おもしろいなって人を見つけると、ツイートをひたすら遡って読む。ブログをひたすら遡って読む。もちろん Tumblr があったらヨダレを垂らしながら遡る… いや、ヨダレは垂らしていないか… (書いていて、自分は気持ち悪いなと思ったので補足する)。

たぶん、そうやってアーカイブを漁る時間を、代わりに、その人に会ってお話する時間に充てれば、ぜんぜんちがうものが得られるのだと思う。アーカイブを漁るとね、そこに記されている範囲の限定的な情報から「この人は、こうだ」って断定したくなる感じがある。でも、実際に対話すると、用意された範囲なんてなくて、無限に広がる話題空間を一緒にお散歩することになるから、断定も、納得も、飽きも訪れなくて。

人と接するときは、もっとインタラクションを大事にした方がよさそう。わかったような気になるの、よくない。