いくつもの事故を経てガードレールが設置されるまで

飲食店でイチャイチャする高校生カップルと、その近くにいて注意したおじさん、写真を撮られて、つぶやき共有サ〜〜ビスに投稿されて、キュレ〜ショ〜〜ンのサ〜〜ビスでまとめられて、多くの人々の目に触れていた。

「おじさんワロタ」みたいな、ある種のほっこり系ハッピーエンド的な取り上げられ方をしている様子を見かけたけれど、この件に関して、悲しい気持ちになる当事者が出てしまわないことを願うばかりだ。高校生やおじさんの身に、悪いことが降り注ぎませんように。

包丁が浸透して、生活は「発展した」とされている。自動車が開発されて、社会は「発展した」とされている。

新しいものが世に出たとき、予期されていた事故や、予期されていなかった事故が、次から次へと起こるだろう。新しいものを受け入れるとは、そういうことだ。包丁で刺されて、傷を負った人がいる。車に轢かれて、傷を負った人がいる。そういった現実とひとつひとつ向き合って「これは、どうにかした方がいいね」ってなった場合は、社会が「ガードレール」を設置する。たとえば、道路交通法は、自動車の危険性を制御するためにつくられたガードレールであろう。

インターネットも、ウェブも、まだまだ新しすぎると思う。その上で「なにが正しいか」なんて、誰にもわかりはしないだろう。そんな状況で、個々にもできることは、自分のまわりの人たちが悲しい目に会いませんようにって祈ることと、自分の行動によって誰かを一方的に嬲るように悲しませてしまわないか想像すること、それくらいなのかなぁと思う。