チャットボットと暮らす人類の未来に自分は何を期待するのか、あるいは何を期待しないのか

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約1ヶ月前の4月1日に、特に説明もなくただリンクを並べたような Bot Year という雑なエントリを書いた。他の多くのみなさんと同じように、ぼくも、2016年はチャットボットの年になるかもな〜と思いながら書いたエントリだった。そんで、実際にチャットボットの年になるかどうかは「キラーアプリが登場するかどうか」に賭かっているとも思っているので、どんな体験が考えられるだろうか〜ということで、あれから、LINE と Facebook Messenger のそれぞれのプラットフォームを試してみた。

試してみて感じたことがあるので、現時点での自分の感覚を言葉にしてメモしておく。

多くの人が慣れているであろうチャットのインターフェイスについて

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チャットのインターフェイスで「買い物をする」というフローを試してみたけれど、これは別に自分が求めている体験ではないな…?という気持ちになった。今までウェブブラウザを開いてクリックしたりタップしたりしながら操作していたものを、チャットのインターフェイスに着せ替えしたところで、特に目新しい体験はないどころか、やや煩雑になった気さえする。

チャットは大雑把に言えば CUI なので、同じ操作を繰り返し実行したり、コンピュータから命令を送ったりするときには CUI の強みが活きると思うけれど、最初に試してみた「買い物をする」体験、なかでも商品画像を見ながら「どれにしようかな〜」と選ぶような買い物の場合は殊更、CUI よりも GUI の方が向いているように思う。

ぼくはソフトウェア大好きプログラマだけれど、Amazon.co.jp でお買い物をするときに API を叩いて購入しようとは思わない。MacBook のキーボードとマウス、あるいは iPhone の画面を触りながらお買い物する方を選ぶ。

指示待ちボット

自分が期待しないことの結論を雑にいうと「指示待ちボットは要らない」になる。急に、4月入社の新入社員たちにプレッシャーをかける先輩社員の台詞みたいになった。

こちらから LINE や Facebook Messenger のインターフェイスでボットを相手にチャットの画面を開いて「はい、これこれこういうことをしてください」とお願いしたときに「ハイ、ワカリマシタ!ヤリマス!」と作業してくれるだけのボットなら、別に要らないと思う。それだったらターミナルから curl でなにかできた方がハンディでいい。強いていえば LINE と Facebook Messenger だと、各プラットフォームで認証済みの状態で処理をスタートできるよね、というメリットはある。でもそれもまぁ、API トークンがあれば curl でもいいじゃん、くらいのレベルのものかな。

指示待ちボットではないチャットボットとは

ずばり「仕事とは、自分から見つけるものである」と言ってみよう。急に、4月入社の新入社員たちにプレッシャーをかける上司の台詞みたいになった。

なぜチャットボットが強みを持つのか。それは、人々がすでにチャット上で実に豊かな情報をやりとりしているからに他ならない。Google が「検索クエリ」を活用して各個人に合わせた体験を提供しようと尽力しているように、チャットのプラットフォームには、検索エンジンには提供しないような日々の濃密な情報が蓄積されている。そこにボットを介在させることで、提案型のサービスを提供し得るだろう。

たとえば「今度、久しぶりにごはんでも行こうよ」「いいね〜!じゃあ新宿あたりで」なんて会話があったときに、飲食店の候補を提示してくれるような。「いま、渋谷駅を出ました!向かっています〜」と発言したときに、乗り換え案内を利用しますか?とスマートにサジェストしてくれるような。「じゃあ早速、日程調整しましょう!」という流れを察知して、チャットの画面上に候補日時を提示してその場で調整さんと同等の機能を提供してくれるような。「ゴールデンボンバーの新曲、めっちゃいいよね」という投稿がトリガーとなって、YouTube にあるその曲の PV をサッと表示してくれるような。「今日もありがとう!楽しかった〜!写真送るね」といって送った写真を、自動で補正していい感じにしてくれる自動盛り盛りボットのような。あくまでも例だけれども。

そういうチャットボットの在り方に、ぼくは夢を見るわけです。

いま現在においても、チームで Slack 等のチャットツールをフル活用している人たちや、Twitter でタイムラインの発言に反応するボットを嗜んだことのある人たちには、特に斬新な内容でもないでしょう。「ぬるぽ」「ガッ」とか「突然の死」とか「ガルパン」「いいぞ」とか、そういうことです。

人がボットに向かって話しかけるんじゃあないんだよ。人々が会話しているのをボットが眺めていて、タイミングを見計らって気の利いた発言をしてくれる。こういうのでいいんだよ、こういうので。今もテキストエリアにこういう文章を打ち込んでいるわけだから、自動でピッタリな画像を提案してくれてもいいんですよ。はてなブログに文句があるわけではなかった、ごめんね…。

想定を越えた体験が欲しい

そんなふうにして、ボットに対して「おっ、気が利くじゃないか〜」なんて思いながらいっしょに暮らしていけたら最高。スイッチを押したら蛍光灯の明かりがつく、もう1回押したら蛍光灯の明かりが消える、そういう画一的な動きじゃなくて、人と人がチャットしているときに笑っちまうような体験が生じるように、チャットボットともその場を共有して暮らしてみたい。

まぁ、会社の Slack で全スタッフが参加しているチャンネルで、ぼくが管理しているボットが不謹慎な「ここで一句」を詠んでしまったときはさすがに青褪めたので、そういうのもちゃんと制御していけたらいいんかな…。

自分みたいな、実際に簡易なチャットボットを多頭飼いしていて、どういうロジックでどういう発言をするのかを把握している人間でさえも、ときに、チャットボットの不意打ち発言みたいなものを喰らって、ボットに人格を感じてしまうことがある。ソフトウェアのことを知らない人からすれば、チャットのインターフェイス上でボットと人間の区別がつかないというのは、ぼくら以上に強く感じ得る感覚なのかもしれない。

未来に向けて

差し当たって頭が痛いのは「プライバシーの問題」だなあ。仮にぼくが奥さんと LINE で連絡を取り合っているとして、そこにおもしろボットを参加させるとなると、基本的にすべての会話がボットのプロバイダーに筒抜けになるだろう。これが、自前で動かしているボットだったらいいけれど、今後「Bot Market」みたいなところから便利ボットを選んでは追加していくとなると、3rd Party 製のボットと付き合っていくことになる。そうなったときに、LINE の利用者が「このボットを会話に参加させるということは、ここでの会話のログがボットのプロバイダーにも送信されて、」ということを正しく理解して活用していくのは、とても難しいことだと思う。

これをクリアできないと、任意のチャットグループに任意のボットを参加させる、という機能がオープンされないことになるんじゃないかな。細かいことがわかっていなくて的外れなことを言っている恐れもあるので、有識者の方にツッコミをもらえたらうれしい。

まとめ

  • チャットボットと仲良く暮らす人類の未来を想像してニコニコしている
  • チャットボットの本質はそのインターフェイスではなく、チャットの場に介在できることにある
  • プライバシーの問題はむつかしい
  • 4月入社の新入社員のみなさん、がんばってください

自分のキャリアでよかったと思うこと

自分の職歴は2008年の4月からはじまっていて、この春で丸8年が経過したことになる。今は社会人9年目。今の勤め先が自分にとって3つめの会社で、ようやく勤続1年を迎えたところ。

1社目、2社目と10人前後の規模の会社の立ち上げの頃から関わっていて、3社目を選ぶときに「せっかくだから、これまでとは大きく異なる環境も試してみよう」という方針のもと、今の会社を選んだ。ぜんぶでスタッフが300人くらいいる。

こういうキャリアでよかったなぁと思うのは、とにかくどの職種の人にも感謝したくなるという点だ。小さい会社だと、そもそも部署の区切りすらなかったりして、プロダクト開発をやりながら総務っぽいこと(オフィスの備品を整備したり)も経理っぽいこと(領収書を揃えたり)も法務っぽいこと(サービスの利用規約や秘密保持契約書を用意したり)も人事っぽいこと(求人情報を整備したり面接官をやったり)もやらなきゃいけない場面がある。そういった状況を経てから今のような各部署に専門のスキルを持った人々がいる組織に入ってみると、各種業務に専任の人がいるってのは実に心強いな〜としみじみと感じる。

各職種のみなさん、ぼくにできないことをいろいろとやってくださって、本当にありがとうございます。ぼくはぼくで、自分にできること・やるべきことをがんばっていきます。

どういう順番でどういう経験を重ねるか。その連続が、自分の価値観を形成していくのだろう。今から別の人生を強くてニューゲームすることはできないので、この人生で得た価値観を大事にして、楽しくやっていきたい。

ジョジョの奇妙な冒険をテーマとした飲食店「池袋cafe&bar GIORNO (@cafebar_giorno)」に行ってきた

最高のゴールデン・ウィーク・エクスペリエンスにしようぜ!ということで、ジョジョについてとことん話したい人たちといっしょに、ぼくにとって初となる通称「ジョジョバー」に行ってきました。今回おじゃましてきたのは池袋にある 池袋cafe&bar GIORNO (@cafebar_giorno) さんです。

Twitter の Message 機能を使った予約に対応していたので、電話より楽だな〜と思って利用してみました。この時点で「ご予約グラッツェ!」と返事がきていたので俺の精神テンションは貧民時代に戻りました。あと、よく見ると文末に DIO 様っぽい顔文字が確認できます。

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店員さんが DIO 様とシーザーだった

入店してみてびっくり、なんと店員が DIO 様とシーザーだったのです。まさか DIO 様が直々にファースト・クラスの客に酒とキャビアをサービスするように接客してくださるとは夢にも思っていなかったので、入店して早々に最高にハイな気分になりました。

メニューはもちろん

飲み物も食べ物も、ジョジョにちなんだ名前になっています。カラオケでいう「本人映像あり」のように、このメニューの中にはキャラボイスに対応したものもあります。運よくキャラボイス対応のメニューを注文すると、店員さんによる肉声つきで飲食物が登場します。シーザーサラダは店員のシーザーさんが「シィィザーァァァッサラダになります」と言いながら運んできてくれておもしろかったです。

店内にいた他のお客さんが「エリナの泥水」というカクテルを頼んだところ、店員の DIO 様が「もうジョジョとキスはしたのかい?まだだよなァ 初めての相手はジョジョではないッ!このディオだッ」と言いながら出してきて最高。それで終わるかと思いきや、店員のシーザーさんが「やったッ!!さすがディオ!おれたちにできない事を平然とやってのけるッ!」と続くと、そのとき店内にいた客全員で「そこにシビれる!あこがれるゥ!」を唱和する形になり、異常な一体感が演出されていてなんとも言えない体験でした…!

(補足しておくと、第1部は「ディオ」で第3部は「DIO」と表記すべきなのはわかっています。店員さんが第3部の DIO 様の格好をしていらしたので、今回は上記の記述のようになっています)

店内を見てまわるのも楽しい

店内にはジョジョグッズがいっぱい。隅々まで見てまわると、楽しい発見があると思います。ここではあまりネタばらしはしないので、ぜひみなさんも足を運んでみてください。

余談

来店前夜、急に楽しい気分になってしまって、ジョジョ好きの会話をサポートするおもちゃをつくりました。ランダムでひとつ、スタンドをピックアップしてくれます。「サーフィス / 間田敏和」が出たときは、あんまり話すことがなくて会話が続きませんでしたァン。

ジョジョの奇妙なトピックス

まだ「スタンドをピックアップする」という能力しかなく、これだと第1部・第2部の話につながりにくいので、こいつを ACT2、ACT3 と進化させて、もっともっと幅広い話題を提供できるようにしていきたいな〜。

グレートですよ こいつはァ

ジョジョファンなら、思わずニンマリしてしまうこと間違いなしの、素敵なお店でした。お会計を済ませたときに、小声で「ツケの領収書だぜ」とレシートを渡してくれて、店を出るまで油断しちゃあいかんなァ〜という気持ち。お見送りの「アリーヴェデルチ」まで最高でした!

ジョジョ好きの方にはばっちりオススメの「池袋cafe&bar GIORNO」さん、興味があったら、ぜひ行ってみてくださいね。

池袋cafe&bar GIORNO (@cafebar_giorno)

投稿日時の意味を希薄化させる Tumblr の亜空間

情報を「新着順」で閲覧することが多いぼくの日々の中で、Tumblr が織り成す亜空間だけは異彩を放っており、ひとたびその亜空間に投げ入れられたエントリは、もはや「どれだけ新しい情報か」という問いかけからは解放され、今日もまた誰かにリブログされては遠くに行き、永遠を楽しむことを許された存在になるのだ。

ためしに、ここ数日のうちにリブログされたぼくの投稿を見てみれば、それは1ヶ月前のものであったり、2年前のものであったり、3年前のものであったり、あるいは8年前のものであったりして、もはや投稿者であるぼく自身がその存在を忘れてしまっているというのに、誰かのアテンションを吸い取っては輝きを増し、数年くらいの時間はヒョイと飛び越えて、過去の自分から現在の自分のもとへとやってきてくれる。

こういう体験は、ぼくは Tumblr 以外の場ではあまり得ることがなくて、ぼくの中での Tumblr の地位を揺るがないものにしている。

テキスト情報が大好き

様々なメディアがすごい勢いで動画化していく昨今ですが、それでもテキスト大好きなぼくです。ぼんやりと自分が撮った写真を見返していたら、せっかくの写真なのに文字を撮影しているものがけっこう多いことに気が付きました。

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なにかこう、人物や景色を上手く撮れないコンプレックスで、わかりやすいテキストを撮ることに逃げているような心理がある気がしている。